Linux で使われるソフトウェアについて

最近は何かとLinux環境をイジることが多くなった。一通り慣れた後にやっとわかってくるのが、Linux上でもっとも使いたいソソフトウェアの一覧である。

下記サイトに色々なツールやソフトウェアが載っている。次回、LinuxOSを刷新するときに参考にしたいと考えている。

 https://www.makeuseof.com/tag/best-linux-software/

ブックカバーチャレンジの代わりに サカナクションの「新宝島」(2015)で使われる「丁寧」と「描く」を英訳を通して考察

大分遅れている感はあるが、昨日たまたまサカナクションというグループの「新宝島」というMVを見る機会があった。それと同時に今日、「7日間ブックカバーチャレンジ」とやらが回ってきたが、このコロナ騒ぎの中、情報過多になってきており、本を人に紹介するのは何かと乗り気でないので、今回は勝手に「歌」とその中にある「詞」を更に「英訳」という観点を使って「日本語の独自性」を考察してみたいと思った。(なんのこっちゃ)本というある程度長い時間が必要な読み物よりも短い詞のほうがしっくり来る人もいるじゃないかと勝手に思ったので、勝手に脱線して、勝手に考察してみることにした。

では、この曲で何をピックアップしたいかと言うと、特に印象的な「丁寧に」「描く」という言葉の使い方。個人的に何か「グッと来る」ものがあった。今回はこれを1)個人的な印象と2)英語に訳した時にどうなるか、という観点で勝手ながら考察したいと思う。 

サカナクションの「新宝島」は日本がどう未来を描いていくか、 という問いかけ?

「新宝島」はキャッチ―にできている。しかし、それ以上に印象的なのは歌詞だと思った。(歌詞は「http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-150930-284」などの歌詞サイトから見れる。)日本で人気が出る曲というのは、どちらかと言うと具体性を持った歌詞や共感持てるストーリーラインがある歌詞(例えば日々の苦悩、恋愛話)が好まれる傾向があるように思えるが、しかし、この「新宝島」はどちらかと言うと詞的であり、抽象的だ。一回聞いただけでは一体全体何のことを話しているのがわからない。むしろメッセージすらあるのかもわかならい。(笑)

曲のリリース日は2015年で2020年5月1日現在時点のYoutube再生回数で129,409,496回だ。日本人の全人口が一回聞いているとほぼ同じだ。これはYoutubeで能動的に動画リンクをクリックして見た人の数なので、それだけ多くの人が共感したんじゃないかと思っている。

ちなみに、「新宝島」というのは、手塚治虫のデビュー作品の名前であり、戦後直後の1947年に発表されている。また、内容はタイトルの通り、スティーブンソンの「宝島」のように、冒険ものらしい。もちろん、ただ単にサカナクションは当時の手塚治虫がその漫画を描くときの気持ちを想像して書いた曲だけなのかもしれない。どうやら作詞・作曲家の山口はここから、インスピレーションを受けたという、インタビュー記事があるそう。(参考:https://www.sugar-salt.com/entry/sakanakusyon-shintakarajima/)しかし、個人的にこれはダブル・ミーニングがある曲なのではないかと思っている。

色々なことを端折ると、この曲は手塚治虫が戦後の日本という世界でデビュー作となる「新宝島」を創作するのとなぞらえて、日本という国土に住んでいる人達が「不確定な未来」または「未知の世界」への生き方を示しているという印象を受けた。特に「揺れたり震えたりした線で丁寧に描くよ」という節では「描く」のは未来図の事なのではないかと思った。つまり、(サカナクションの様に)いくら先見性のある人で「未来図をある程度描けた」としても、その未来図は実際に近くで見ていると「線が揺れたり震えたり」していて、不完全性があるのではないかと疑問視しているのである。 いくら完璧な理想や未来もどこか不完全性、欠点があるのである。

色々と書いて置きながら、また説明をするのが面倒くさいので更に端折ってしまうが、最後の「揺れたり震えたりした線で描くよ君の歌を」というのも、立場上や社会環境的な影響で「自分の言いたいことが言えない人達」が自己表現をしやすいような場や世界観を、ある程度影響力がある人(この場合サカナクションのような人)が「何を言っていいか」というレパートリーを「一般人」のため増やそうとしているということを示唆しているのかもしれない。それも、かなり「丁寧に」、慎重にやっている。しかし、同時にいくら崇められたとしても、あくまで一人の人間なので、「限界がある」。なので、聞き手に対しては「後は自分でもやって」とも言っているようにも思える。

「丁寧」と「描く」という言葉の日本語の独自的な使われ方

印象的だったことが「丁寧」という言葉と「描く(えがく)」という言葉がとても日本的な使われ方をしているということだ。実は日本語という言葉の独自性というのは他言語に訳したときに浮彫になることがある。自分は英語との対比ができるので、英訳を試みてみた。個人的に思いついた訳の案が次の通りである。

サカナクションの「新宝島」で使われる「丁寧」と「描く」という言葉の英訳案

丁寧に慎重に(carefully)、丁重に(with respect)、気を使いながら(with care, with love)、ゆっくりかつ正確に(slowly/carefully but with precision)、正確かつ的確に(with precision)

描く(えがく) – 絵を描く(draw a picture/paint on a canvas)、デザインする(to design), 計画する(to plot )、想像する (to imagine)理想・虚像・未来などの存在しないものを描く(to foresee, to predict, to wish)

このようにこの二つの「丁寧」と「描く」は英語に訳しても複数の訳がある。また、日本語の「独自性」というのは、決して「優位性」ではない。ただ単に英日の関係であれば、内容する概念やイデオロギー的なものが直訳しにくい、または片方の言葉がもう片方の言語にした場合、複数の意味を内包するという意味だ。いずれにせよ、これを書いていて一番不思議だな、と思ったことが、同じメロディーラインのコーラス(サビ)でも「歌を描く」のか「目的地を描く」のかまたは「(未だ)想像しえない何かを描く」のかで訳が全く異なってしまうということだ。

また、単語単位での訳ではなく、この文節を訳してみることにチャレンジしてみると「描く」という単語に関しては、上の直訳案では出てこなかった単語を更に使わなくてはならない。

「揺れたり震えたりした線で丁寧に描くよ = Even though the outlines might be shaky and imperfect , I’ll sketch out / design your future 」

「揺れたり震えたりした線で描くよ君の歌を (With my shaky hands, I’ll shape out your song / true voice) 」

いずれにせよ、キャッチ―な曲調とは裏腹に内容に耳を傾けるほど、どう訳せばいいんだろうか?と悩まざるを得なくなってしまった。ここから、違和感が出たのが、現代の言語感で二つわかったことがあった。

  1. ここで言う「描く=imagine」であり、通常の「Imagine ≠ 想像する」ではなく「Imagine =想い描く」の方が適格である。(また日本語の「描く」もなるべく「想い描く」に置き換えても問題がない) ※通常「描く」を辞書で調べるとdepict、describe、draw、portray、delineate、describe、line、trace、draw、drawなどという実動作に限定される訳しか出てこない。
  2. 「丁寧に = with care and precision」「丁寧に = with utmost respect」「丁寧に = with care, precision, respect and love」

このように、曲の意味を解読しようと思っていたら、最後にはその解読結果の「副産物」こそが発見のような考察(もといプチ考察/考察未満)になってしまったが、少なくとも「描く」という日本には抽象的な理想や想像を「想い描く」という概念が含まれていると強く思った。または、英語ではこれは英語でいう「plan(計画する、予見する、さきがけする)」や「imagine(想像する)」とも互換性が強いと感じた。

また、「丁寧」という日本語の表現に関しては、それほど「正確」かつ「適格」な動作を表している言葉はない。 英語には「Perfect」という完全性を表す言葉あるが、英語のPerfectは線を多少はみ出ようが、何か溢れ出ようが Perfectである。ここまで細心の注意を払うのは想像できない程の注意の払い方なのではないだろうか。歌詞カードでは1回しか書いていないもの、歌の中では「丁寧、丁寧、丁寧」と3回繰り返している。それほど、サカナクションも「丁寧」という言葉に最新の気を使いながら歌っているのだと思った。

結論:どれだけ「丁寧」に「描」いても未来は不確定というメッセージ?

昨今では巷でコロナウイルス騒ぎが起こっているが、問題はアフターコロナ(※ちなみにアフターコロナという表現は落合陽一さん始め多くの日本人の著名人が多様しているが、英語的では post-corona の方がしっくり来る表現だと思っている…のはさておき)の世界はどう生きるか、と言う問いに対してはサカナクションがある意味先行して考えを提示してくれたのではんあいかと思っている。そしてその手法として、「丁寧」と「(想い)描く」という日本人が大切にしそうな二つの価値観が詰め込まれていた言葉を題材とし、曲を作ったのではないだろうか。もちろん、これは2015年に書かれた曲で別に2020年の具体的な未来予想をしたわけではなく、2015年当時からあったオリンピックや観光立国など今までにない方向で日本はグローバル化へ急激に加速していったときの大きな流れを彼らが感じ取ったのかもしれない。日本だけではなくSocial Media(SNS)の普及や政治や経済の在り方の変化があり、どこもかしこの国の世界中の様々な場所からの影響を一気に受けいれることになってしまい、当然その結果、その国に住む人達もどんどん変わらざるを得ない。サカナクションは日本を代表するアーティストで色々な場面で先見性があるかもしれないが、それでも全ての答えを知っているわけではない。「どれだけ丁寧にやってもある意味未来像は探り探りだよ」とでも告白でもしているかのような印象も受けた。

最後の一説は「揺れたり震えたりした線で描くよ君の歌を」はみんなの「声」をつくるから、自分で発言したり、または曲に感化されて自分で想い描いていいし、「揺れたり震えたりした線」つなり「不完全でもいい」または「不完全でもしょうがない」ということを言いたかったのではないかと、勝手ながらではあるが思った次第だ。少なくとも「丁寧」と「描く」という2つの言葉はこの半世紀の日本人の姿勢を表しているいるような気がするし、実はある意味日本の人への応援歌なのかもしれない、とそう思った。

「丁寧」は時折 Imperfect(=揺れたり震えたりする)けど、がんばろうぜ、そんな事を言ってくれたらな、などと勝手に英訳しながら思った次第である。

以上

Chat という言葉の便利さ

英語には「Chat」という便利な言葉がある。これは現代の日本語にはない。ある意味、そういう意味では日本語的なコミュニケーションと(米国や英国の)英語的なコミュニケーションの違いを作る、決定的な違いかもしれない。個人的には英語圏で幼少期を過ごしたので、少し残念なような気もする。

米国では「chat」の他にも「small talk」や「discussion」などがある、イギリスではもしかしたら「chat over tea」やアメリカでも「talk about it over dinner」などがある。(Let’s chat over a cup of tea/coffeeやTalk about it over dinner などがある)これは、日本語では訳しにくいが、「談話」「小話」「無駄話し」などがある。しかし、同時にそれぞれの言葉にはそれぞれの欠点がある。

「談話」というと何か「談」と言う事から言葉を絡み合わせなければならない、と思わせるような表現、というよりかは言葉だ。つまり「chat」とは印象が違う。

「小話」というのも日本語的には実は最後に何かオチ、もしくは耳寄りなお得な話を言わなくてはいけない、と思われがちである。やはり少し「chat」も違う。

「無駄話」というのが、一番近いかもしれないが、日本語的には「無駄」という言葉が入っていることから「意味がない」と思われがちである。

その他にも、日本語的には「情報交換」という言葉が使われるが、これはある意味「情報を交換している」という訳で、くだらない話をしている訳ではない。昔はどういう使われ方をしていたのかはわからないが、「有益な情報の交換」であり、残念ながらこれは「無駄話」ではない。

英語でのchatは「無駄話」「他愛もない話」

これは一つの仮設、に過ぎないが英語の会話の「Chat」は実は現代人が一番嫌う傾向にある「無駄話」及び「小話」なのかもしれない。特に意味はないが、意味がないからこそ、意味がある。そんな感覚だ。日本人的にも馴染みが多い仏教的な「遊び」、つまり空白の時間だったり、余白的な「間」なのである。しかし、それはキレイにお互いの声が鳴り響いている、つまり、ジャズやブルースのセッション、または最近のところで言うとヒップホップのフリースタイルのようなものをイメージすると良いのかもしれない。ある程度の「釈」は決まっているが、中の内容は自由なのだ。日本語と違って「会話に正解はない」と言うことが英語の会話かもしれない。最終的には好き嫌い、相性、そしてその時の気持ちがお互いに共鳴するか、程度なのである。もちろん、chatがきっかけて次のアポイント予定だったり「じゃあ一緒にご飯に行こう」、という話になるかもしれない。

今までの日本の会話では、上手く話が噛み合わないと、「日本語が変だ」または「なんか響かない」などと、言っていい事になっている。(私はよく英語を話している直後に日本語で話しかけられると頂く言葉だ…)この間も外国で育ったと言つた直後に「どおりで日本語が変だと思った」と言われてしまったり、まあ、有り難いコメントの連続である。日本というこの国境内ではいつの間にか、日本の中学までの教育で出てくるような「日本語」を使わないと「日本語を喋っていない」とシャットアウトしてもモラル上問題ない、と言う事になってしまう。しかし、やはり多国籍だったりそれ以外の多様性がある環境での会話はある程度相手に耳を傾ける必要がある。現代の英語は比較的このような要素が少なく、釈の中だったらある程度何を言っても問題がない。一番重要なのは心持ちなのかもしれない。

日本語でももっと「CHAT」のような雑談をしてもらいたいものである。

伊豆の隠れた名店①:長太

伊豆の隠れた名店:長太

時代に流されない味?
行くと大体売り切れか、休業。心がピュアなじゃないと現れないお店です。地元の方からも大人気。

稲取名物の「肉チャーハン」も食える(元祖は「かっぱ食堂」)。

静岡県賀茂郡東伊豆町のラーメン☆長太

How to 東京:文京シビックセンター展望台、都庁無料展望台

東京で観光、またはちょっとした遊びをするには何かとお金が掛かります。しかし、意外にもこの世界でも1番大きいとされている大都会を一望できる場所がいくつかあります。それも無料で。

文京シビックセンター(後楽園駅、春日駅、JR水道橋駅)

https://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/tenbo.html

秋葉原、上野公園からさほど遠くないこの市民センターでは25階、26階の展望台を無料開放しています。360°のパノラマビューで、東はスカイツリー、東京駅、お台場、西は新宿、渋谷、そしてそのはるか奥にある高尾山や富士山まで一望することができます。

シビックセンターのすぐ近辺には東京ドーム及び後楽園遊園地があります。東京ドーム隣のJRA(日本中央競馬協会)の販売所があります。大抵の場合賑わっているので、少し覗いてみるのもいいかもしれません。

JR水道橋駅(総武線)に乗れば、秋葉原または新宿へ10分ほど辿り着けます。一度使ってみてください。

東京都庁

http://www.yokoso.metro.tokyo.jp/kengaku/index.html

東京都庁にも文化シビックセンター同様無料展望台があります。同じく25階。

こちらも360°のパノラマビューで、見ることができます。シビックセンターと違うところは他にも無料施設または情報センターがあることです。

詳しくはこちらをご確認ください。

お勧めは社員食堂(激安)、及び全国観光センターで次回の日本国内旅行への構想(及び妄想)を建てることです。

是非一度行ってみてください。