スティーブ・カウフマンさん

ふと、Youtubeのお勧めにスティーブ・カウフマンさんが出てきました。

スティーブ・カウフマンさんは日本にも十年くらい在住していたカナダ人の元国際ビジネスマンの方です。実は日本語以外にも十一ヶ国後が話せるpolyglotでもあります。

彼のYoutubeチャネルは多言語なだけではなく、色々な日本人の方とも対談をしている事からとても目が鱗、寧ろ内容が面白く釘付けになってしまうことが多いです。

実は最後まで見ていないですが、スティーブさん、このビデオでは珍しく英語で考えながら日本語を話している(?)様です。よって少し文法や文脈が少々英語より。普段のスティーブさんは英語脳ならず『日本語脳』で話しているのですが、猿も木から落ちる、と言ったところでしょうか。

しかし、ここで思いつきました。もしまだ英語力アップのためならば、このスティーブさんの説明を一回添削しながら英語力向上に繋げることができるのでは、と思いました。

手法は以下の通り:

1、スティーブさんの日本語を「正しい(自然な)日本語」に修正する。

2、スティーブさんの話しているそのままの日本語の原文英語を推測してみる。

3、上記1と2を比較してみて正しい英文、日本語文を作成してみる。

以上、3点を行ってみると効果がでるかもしれません。日本語の世界、と英語の世界を両方知っている人の言語感…得に話すときの思考パターンを勉強するにはとてもいい機会かと思います。

思い付き、メモ投稿でした。以上

日本語話者にとって難しい文法/英語の表現(1):Functional Languages

英語でFunctional Languages または Modals (modal auxiliary verbs) と言われる内容のものがある。これは日本語では端的に「助動詞」と呼ばれているものだ。最近、改めて(むしろ初めて)、このような内容を真面目に勉強する機会があったが、見ればみるほど、これは日本人にとって一番「英語の難しい部分」と感じるのではないかと思った。ましては、ネイティブ達にとってもこれは完全マスターすることはとても容易ではない。

Functional Languages / Modal Auxiliary Verbsの具体例

具体的な例を表している表を一部、Pinterestから借りてきた。

かの昔、大学の時に在籍していたゼミの教授が書いた論文の中に「Usages of the English Modals Verbs」などというものがあった。大学を卒業してから早15年以上経つが、未だに「え?Modalってなんだ?」と思うぐらいだ。最近10人くらいのネイティブ英語教師と時間を共にすることがあったが、やはりこれはとても難しいジャンルであることは間違いないようだ。

ご覧のように「giving opinions(意見を述べる)」「asking opinions(意見を仰ぐ・伺う)」「agreeing(賛同する)」「disagreeing(反対意見を述べる)」「partly agreeing(一部賛同する・共感する)」「Invitation(招待する・招く)」「accepting(受け入れる・許容・許認化する」「refusing(拒否する)」などと幅が広い。中には「showing discontent(不快感を露わにする)」もこのFucntional Languages に含まれている場合がある。 とても、感情…もしくは自分の考えや想いを伝えるために重要な文法の一つなのである。

そもそもの問題は日本語では「助動詞」と呼ばれていることにある可能性は否めない。「助」という感じがあるように、なにか「おまけ」のように感じてしまうのだ。しかし、英語で「Functional Languages」と「Modal Auxiliary Verb」いうと如何にも響き的に重要に感じる。少なくともラテン語由来の言語を話している国々の人にもそのように聞こえるだろう。ここで、日本語はあまりにも言語体系がかけ離れているため、いまいちその重要さを把握しにくいのである。(※もしかしたら、「助動詞」と名付けた人もあまりその重要性に気が付いていなかったのか?!) 

ちなみにFunctional LanguagesとModalsを仮にわかりやすい日本語(口語)に訳すると次のような言葉になる。※口語=「感覚的」な日本語⇄英語訳だ。20代―30代ぐらいであれば学術用語や専門用語もこのように感じると思う。

Functional Language=「(とても)機能的なことば/役立つことば」

Modals=「中和的な補助的動詞」

とのようなのような感じだ。少なくとも「助動詞」よりはむげにできそうにない言葉に聞こえるのではないだろうか。   

また、Functional Languages / Modal Auxiliary Verbs(助動詞)については別の機会に説明したいと思う。

以上

The 1990’s

As somebody who is born in the 80’s, the era of my upbringing was mainly focused the 1990’s. This is where I learned about values and how the world worked… or at least it helped me shape the view point of what the world’s ideal should be.

This is also the era where I moved in between cultures…. specifically of those in between Japan, United States and the UK. As somebody who is only trying to grow up, get myself ready for society, I never had any questions… well in reality I had lots of questions, but I always had the chance to perceive and understand what was right for me.

the biggest influence I got from this decade were those of cultures of US and UK. As US being my birth country, and also the place where I really learned to “mold” my character and persona, and UK was the motherland of my foundational thinking, and of course the principles of the English language.

I never actually compared the 3 countries’ cultures, for some reason I always felt as though I had the best of times, where ever I went. Some people say life is a journey, but it was something more modest than that, it was probably more like continuous rounds of “trips” , trips where I’d find new places and new people living their own normal, humble lives. Never had I thought for a moment of comparing the cultures, at least not in a way to make an comparison of “which is better or worse”. As we have colors and shapes… and for some vibes and that beyond, different cultures utilized different colors and shapes to present the different things.

It wasn’t until I landed back to Japan in the year 1997. It was great to be back in the same community after about 8 years time, and I was eager to learn about the culture just like all the other cultures, because that was actually the thing that I had al\ways done, but here I felt something different…. it was as though nobody really liked their own culture. Everyone wanted to be total peace and harmony, yet they wanted to learn about individuality, and though everything is about “peace and harmony”, not many people went out of their way to help out people in need of assistance, or even just a small nod, acceptance, or just a “hi”, and there was a lot of misunderstanding of American culture. There were probably many aspects that played part in this happening… mainly the horrific war in the first half of the 20th century, but in the current times… as of the year 2020, there are not as many people who remember the exact time that the war was happening. The scar wounds of the horrific aftermath is about to be put to an end.

When comparing the cultures. In Japan, it was to just “let it be”, just don’t see, touch, or feel about anything around you… this was the way of harmony in Japan. In England, everything was about compliance and following orders, and of course looking out for your peers and colleagues seemed to be the norm, what ever the reason, people always wanted to be respectful to each other. In America, the story of the 90’s was definitely about diversity, and portraying the uniqueness of each and every individuality. It was also an era where it seemed that the long dispute between the “white race” and the “black race” had taken a big turn in American society, where black culture seemed to be dominant American culture in aspects like sport, music and entertainment… at least where I lived. Everyone had seemed to live for a equal rights and always trying to find a way to be “civil” or just trying to find and help out individual rights and bringing out the potential in every one of them. None of this movement in America was actually talked about in Japan… it was only “sold” in forms, again of entertainment, mainly movies. So the fact was that efforts made in the US of trying to get rid of the race rivalry in the US… or in any other part of the world was never to be told. There was also another factor that played in this… Japanese people just wanted to be “Japanese”… but this is a story where most Japanese people have a hard time grasping… is it the place we live? place of birth? the mandatory education system? or the family lineage? It’s something that most Japanese people still have not figured out for themselves, nor is the this possibly dispute discussion be laid out on the table even till this day.

As we are now living in an era, where virtually anything is possible.. thanks to the utilization of technology, it is important to keep our eye on what’s important; starting with our individual selves and all the people around us. I personally really cherish the 90’s, is it because I actually lived that era? Possibly. But more than that I believe it was one of those transitive periods, where “convenience” and “inconvenience” met and worked hand in hand with each other. The best part of life are always the time of transition; the time of change… or just opening up new gates. As being a grown Japanese man, I would personally like to open the new gates with the utmost respect or “礼のこころ (Feeling of appreciation and gratitude)”, and revisit and re- learn from the gates of time called the past. And as a consequence we are truly able to feel the moment.

It’s never a bad idea to look back to your upbringing and contribute to the current society by sharing parts of it with the people you adore.

Con-fusíon,

Documentary: Love and Saucers

コロナ渦になると、不安・ストレスが募るか、または現実逃避に走るかの二極になるのではないかと思う。誰でも大変な時は現実逃避したいものだ。

現実逃避の中でも、このドキュメンタリーは是非お勧めしたい。「Love and Saucer」というタイトルでアメリカ東海岸に住むDavid Hugginsさんが、自分の宇宙人誘拐(Alien abduction)を絵を通して語る、という作品だ。時間も65分とそう長くはない。

Hugginsさんの体験はアメリカの宇宙人遭遇体験の総括、または模範ともいえるぐらいオーソドックス(その世界に於いては)と言った感じだが、彼の場合は様々な体験を「トラウマ」として受け取らず、「想い出」として受け取っているところが印象深い。

NJ州のHobokenにいそうな70代の陽気なアート気質のおじさんの話、という感じで、もしかしたら、宇宙人マニアだけでなく、普通の英語学習者にも良い影響を与えるのではないかと思う。上映時間も内容もライトだし、何よりもアートワークが面白い。是非、次回の余暇の際に見て欲しいと思うものだ。

https://www.loveandsaucers.com/

イギリスの先生はオニの顔をしている

最近、イギリス人と話すことがあったので、メモ。

どちらかというと、顔、というわけではないが、「心」の外が少しづつ出ていて、それがところどころ、顔の表情の端々に出てしまっている、という具合である。だが、しかし、これも故意かと思いきや、実のところは意図的にやっている。なので、イギリスの教師は「私はいつも怒っているぞ(I’m always quite angry)」 「こういう散らかった様子を見るとイライラとするのよ(It always irritates me to see things when they’re out of order」などと内面を生徒にあらわにする。

ここまで来るとクラスの中に緊張感が流れて、さぞ殺伐とした雰囲気になるのではなかろうか、とご想像されるかもしれないが、その所は違う。何故なら、先生は隙あらば、色々な事を話す、基本的にお喋り気質(talkative)なのだ。西洋社会では基本的にストーリー性(story telling)または、ナレティブ(narrative)という物語が中心となる話し方を好む、そして全ての人生の経験談や体験は何かに帰結すると考えているため、その先生の過去の話などを聞くと、人間味が伝わってくる。イギリス人は特に素朴・謙虚なライフスタイルを美徳とし、人生の愉しみとするところがある(そしてここにも実はシニカリズムが見え隠れする)、よってその先生のキャラクターが見え隠れするのである。

また、生徒は子供の頃から、手を挙げることをしつけさせられる。面白いことに「答えをわかっていなくても、手を挙げろ」と言わんばかりの教育をさせられる。もちろん、クラスによっては答えがわかればその場で生徒全員が一斉にそれぞれの答え(考え)を発するようになり、場は混沌と化する。 すると、先生は「はいはい、一人づつ~!」と少しキレのある口調で切り返す、または挙手することを推奨しておきながら、答えが間違っていると「違う」、と言って切り返す。一見、タチが悪いようにも見えるが、こうやって、間違って応えてしまった生徒に関しても、後でフォローをして別の問題などを答えさせる。つまり、「挙手して発言すること」そして、自分の出した回答を「受け入れてもらうこと」も「拒否されること」、どちらも当然のごとく「是」であることを、日頃から練習するのである。筆者が幼少時代に行っていたイギリスの私立の男子校では、まさに教師陣がオニのような形相をしていた。常に頬は赤らみ、息は荒く、授業中も何か生徒が無駄遣いや遅刻などの不道徳とされることをすると「Oye!!! (コラ!)」と怒るのである。こういったことにより、規律を重んじる、と同時に年配者としての威厳を保っていたのかもしれない。いずれにせよ、教育や会合の場では、積極的に発言することはあたりまえ、そして発言が受け入れらることも、拒否されることも当然のごとく、日常茶飯事であり、また教師も質問されることを拒まず積極的に応えていくのである。

このような背景があるからイギリスなどに行くと感じる紳士・淑女にある、独特のふてぶてしさとシニカリズムや自信、またはそれに伴った「個」はこういった教育から来ているのかもしれない。特にイギリス人は独特な善意が背景にあるシニカリズム(synicalsm) やサーキャズム(sarcasm)を展開できているのかもしれない。

長らく日本に住んでいる私からすると、イギリス人がある意味で目指しているは「最高の社交辞令」を練習しているかのうに思える。もちろん最終的に社交辞令というのはうまく練習を積み重ねればジェントルマンシップなどにも繋がると思う、もちろんそれがどうやって実現するかはまだ模索中だが… そして社交辞令を重ねるうちに、「考え以上の何か」が共鳴する人も出てくるので、そのような人達が生涯の友人、伴侶または盟友または同士・ライバルとなるのかもしれない。一つこんな形で回っているのが、イギリス社会なのかもしれない。