自己発電型電気エネルギー、空気清浄、自然(森、山、川)と心身の健康について

自己発電型電気エネルギー、空気清浄、自然(森、山、川)と心身の健康について

この2年くらい京都に行くことが多くなった。元々、2年に一度ぐらいは京都の町の東側を上下する鴨川沿いを自転車(レンタルサイクル)で北上し、最後に下賀茂神社を訪れることが行事のようになっていた。何故ハマってしまったのかはわからないが、10年以上続いている習慣だ。一人で行くこともあるが、大体は友人・知人と行くことが多い。

京都にいくようになったのは、運よく仕事に巡りあうことができたので、半年に数回行くようにしている。これも私が疎い「縁」というものなのか、「運(fate & luck)」というものなのかはわからないが、嬉しい限りのことだ。また、不幸か幸いか、仕事があまり忙しくないため、オフシーズンの平日に鈍行電車または深夜バスで行くことができる。この方法であれば普通新幹線で行くより概ね1/3ぐらいの値段だ、いきなり気分的にはその反比例する3倍くらいのお得感を感じる。もちろん、夜行バスで充分睡眠がとれない(これでも慣れてきた方だ)などあって数値化できるわけではないが、満足度が上がっていることは確かだ。また、ここ最近は2019年と2020年の国際行事に合わせてホテルと合わせてバックパッカー向けのゲストハウスなども多くなっており、文字通り「驚き」の値段で贅沢な環境の宿泊施設に泊まれる。また、こういうところでは廊下ですれ違ったり、同じソファに座っている外国人旅行者とsmall talkまたは情報交換をする。これが日本文化についての質問を受けたり、自分が知らなかった日本の秘境の情報や文化物の情報交換になる。これは頭の整理にもなるし、同時に新しい角度または忘れていた初心のこころなどをこのような新鮮な目線の旅行者から得ることができるので、京都の旅行はもちろん、自分の祖国である日本という国をもっと好きになる理由になる。

バックパッカーというと「酒に溺れて騒いでいるヒッピー」のようなイメージもあるが、意外と違う。確かにこういう人もいるかもしれないが、もう片方は「現代版インディアーナ・ジョーンズ(日本名:インディー・ジョーンズ」のような人が多い。考古学というか、歴史や人、文化などへの好奇心が高く、更には自分の生業となるような専門分野の鍛錬も怠っていないタイプの人も多い。(インディアーナ・ジョーンズも実は権威ある考古学専門の大学教授だった)後、今の時代はスピリチャリティーや人類の起源に興味がある人もいるが、こういった人は同時にアーティスティックでもあるため、これはこれで刺激というか、心の洗浄(soul cleansing)となる。何がともあれ、世界の裏側の方から見ず知らずの人と友人・知人のように話すというのは悪くない気分だ。もし前世というものがあれば、その時のどこかのハブとなるイスタンブールだか、イスラエルだか、どこかの文化・宗教のメッカ(集合地点)で会っていたに違いない。

京都に来ると、不思議なことに気が付く、それは空というか遠く彼方の景色がきれいであるということ

今まで私は京都が街として魅力があるのは、歴史や神仏の建築物の数々だったと思っていたが、空気がきれい、山がきれい、山の上に茂っている森がきれい、サボり場所としての鴨川がある。飲料水などもおいしいことで有名だ。そしてそれに加えて、京都大学、同志社、立命館などの大学や、様々な寺と神社があるし、美術館などの公共施設もたくさんある。また、アーティストや芸術家などが集まりやすい風土もあるのではないかと思う。とりあえず、夕方の風景が空が澄んでいて、とても綺麗なのである。心の中で「ああ、明日は何をしようか」などという気分になる。多分、このような風景を無意識的に目の当たりにしている旅行者が多いから京都は世界でもTOP10もしくはTOP5に必ず入るような訪れるのは人気の都市なのだろう。つまり、周りの自然環境がいい、空気と水が綺麗、そしてその上に歴史・品格・風土のある街が10世紀以上も変わらず佇む。
なるほど、そういう環境に囲まれているから、京の人はどこか「おっとりとした」雰囲気があるのだろう。なんて思うようになった。そういう意味では、日本2番目に古い、そして世界レベルでも当時とあまり変わらない状態で現存されている街である。世界レベルでも1200年前の状態を維持している都市はそう多くはないだろう。 (#今住んでいる伊豆に置き換えてみると、弘法太師が訪れた修善寺も12世紀前から繁栄しているし、三島大社がある三島なども水や山々の風景が良いし、これらは神仏の建物も歴史も美術館などで充実している。)

学術的なインスピレーションや心のやすらぎ(Peace of mind)

こういった街にいくと、スピリチュアルエナジーというものがあるのかわからないが、とても、中和的な気持ちにもなるし、学習意欲や創造意欲が沸いてくる。決まって、三条・四条または七条あたりのリーズナブルな価格のバックパッカー向け宿泊施設に泊まって、そのロビーや鴨川近辺を往復したり、さまよいながら、考えを纏めたり、資料作成をしたりするのである。これをいつも2-3日、長い間は4-5日続ける。宿泊代は合計で1万円前後かかってしまうが、実質の経済的効果はどうこうでもマインド的には効果抜群だと思う。少なくとも歩いて、考えて、見て、書く(タイプ)ことができる。なけなしの銭を出しながら、行き詰ったときや考えをmaxに振り絞らないといけないときにはこういう環境が良い。以前は母校の港区にある図書館も訪れていたが、少しやはり固い気がする(個人的には「明治維新臭」が強いと思っている)、片手には缶コーヒーやコンビニコーヒーだったりするが、神社の横にあるベンチに座って、色々と考えを纏めるのは贅沢だが、やはり効率的だ。やはり仕事か、思い切った旅行の時にしかできないのかもしれない、と思う。
しかし、京都や奈良そして広島のような日本史で重要な場所を訪れることは今後海外で活躍したい人には必須であると思う。私個人としては海外との接点は否が応でもある(自分にとってはある意味日本が「外国」だし。。。)、よって客人が来たときに東京と京都と広島ぐらい案内できないと個人的には申し訳ない気分になる。また、そういうところを史実や文化背景を自分の見解を踏まえて説明できること、それは多くの旅行者もそうだが、ビジネスパーソンが喜ぶはずだ。なんだかんだ言って、勉強のために行って「堪能する」、そしてその「感動」を海外の人に伝えて共有することが一番なんじゃないかなと思う。
そういった意味では若い世代の人には「歴史と英語の勉強」という言い分で何かと理由を付けてこれらの街には繰り出して欲しいと思うし、ハマってしまったら他の地域に行くのもいいのではないかと思う。グローバルな世の中であれば、自国を理解して貰う、興味を持ってもらうことはコミュニケーションに於いてとても重要な部分であるからだ。
日本の現在の首都、東京でも残すところはいっぱいあるのでは?
東京も同じようなところを守れないかと思っている。もちろん、今から数千年後の投資をする、というのも変だが、「良い古さ」には「煌びやかな新品」には出し切れない、味がある。我々が骨董品が好きだったり、どこかの山奥にひっそりと住む仙人などに憧れる気持ちと同じだ。これは町単位でも同じようなことができる。
そもそも東京はひとつ現代史でも戦争というさぞ悍ましかったであろう出来事の後に、ずっと前向きに前進してきた町である。戦後からのおよそ75年間(現在は74年)の間、大衆的な観点でグローバルな現代社会の一員として、成長してきた街であり、もし「平和」というものが本当に存在するのであれば、広島と並んで、「平和の象徴の町」なのではないかと思う。また、もう一つは「大衆」もあれば天皇陛下含め「皇族」の方も住んでいる。 私も他の文章でもよく書くのだが、祖父は両方とも米国との第二次世界大戦で文字通り「死にかけた」。いや、片方のじいさんは船上から振り落とされ、フィリピン海で溺れて「一度死んだ」らしい。もう片方の祖父は至近距離で爆弾が破裂、その衝撃で左耳の鼓膜が破裂したそうだ。そのおじいさんと話すとき、正面ではなく、私はいつもその残った右耳に話しかけていた。それでも、驚きなことにこの祖父たちは合計で3人の子供がアメリカに住むことになり、うち孫1人がアメリカ人として育った。普通だったら、どんな心境なんだろう、と思ったが、一言も私の前ではアメリカという国の悪口を言わなかった。「死んだはずのじいさん」は私に向かっていつも「flower」とか「road」「rainbow」などと知っている英単語を羅列して、せめてもながら場を和ませようとしていた…と思う。もしかしたら、「rainbow(虹)」などと言うメルヘンなことは言っていなかったような気もするが、まあ、恨むよりは生きるを完全にまっとうしていたように思える。いずれにせよ、平和であることに感謝しつつ、古い敵のことも、終わったことだから許すというか、受け入れたのかもしれない。

東京は「平和」と「大衆」と「殿様」「天皇陛下」の街

しかし、東京を初めとする日本全般的にかつては敵国だったアメリカという国への恨みを最小限にすることに成功した国なのではないかと思う。どうやったのかわからないし、(個人的にはなんとなくわかる気がするのだが、、)20世紀の偉業としてはベルリンの壁崩壊ほどのインパクトはなくとも、やはり称賛されるべきものなのではないかと思う。次の段階は日本なりの「多様性」を「和」の精神を以ってどうやって表現するのかではないかと思う。祖父たちも、もしかしたら、葛藤もあったかもしれないが、結果的にアメリカ生まれの孫も日本でもある程度馴染んで暮らして、なんとか日本国で暮らしていると思うと今死後のどこの世界にいるかはわからないが、少しながら安堵の気持ちで見てくれているのではないだろうかと、横柄なアメリカンな方の私は思う。そういう意味では、私の祖父たちは日米関係というものにある程度の折り合いを付けられ、ラッキーだったのかもしれないし、東京全般的にこれを成し遂げられた世界1位2位を表す巨大メトロポリスになったことは本当に脱帽ものだ。

今後の東京の姿

基本的にブログ、ということである程度メモ書きのように書いているが、東京という街については次のような方向性になったらいいな、と思う。

  • 空気汚染問題
    日本経済を支えてきたのは間違いなく製造業やそれを支えるような繊維・科学産業だと思う。それが故に至るところで工場が多く存在する。もっと、空気が綺麗になれば東京でも富士山が無料で見れるスポットはたくさんある(文京シビックセンター展望台、NSビル、新宿の都庁ビルなど)、日本に来たらやっぱり晴れ晴れとした感じになって欲しい。山と森とおいしい水を飲んでいただきたい。
    後は技術先進国としては、再利用型エネルギーなどはもっと使ってもいいんではないかと思う。もちろん、試算したら、太陽光エネルギーでは今の需要を賄えないのかもしれないが、前回の震災のときに日本国全体が大幅な「節約」を成し遂げた。これも海外からはとても、賞賛の声が高かったし、とても日本人らしい姿勢だと思った。アメリカに住んでいたとき、充電式単3電池なども、全て日本製だった気がする。また、日本の電化製品は他国に比べて壊れにくいということから、一回買ったら元が取れてしまう優れもの(買い替えが必要なくなってしまうが、、)だ。少なくともクオリティーの面では、日本製のステータスはいまでもある程度高いはずである。新しく、かつ未来社会に貢献しそうな実用的(かつ日用的)な技術に取り込んでいる姿勢を見せていれば、世界もまた更に日本に振り向いてくれるのではないだろうか。
  • 自転車や公共100円バスの普及
    昔、東京はもっとみんな自転車に乗っているイメージがあった。初めて担当した会社も自転車営業の人が多かった。また地下鉄に加えて公共交通などはとても充実しているから、別に車を持たなくても、いいじゃないかと。車を一台買うながら電動自転車5台ぐらいと駐車スペースから自転車貸し出ししちゃったらどうだろうなんと思ったりもする。特に自転車に乗っていると裏路地にふとした嬉しい大発見(うまい定食屋、綺麗な公園)などがある。閑散としかけている東京の裏路地もまだ捨てたもんじゃない。もしかしたら、道端に100円が堕ちているかもしれないから、もし見つけたら区営バスや募金にすればいいのではないだろうか。
  • 文京区、台東区、足立区などの保存
    東京の成長を支えて来たのは、やはり日雇い労働者や地方から移住してきた所謂「大衆」を形成した人達ではないだろうか。大衆と歴史が残るのは、東大や谷根千がある文京区や、東京芸大や上野、浅草がある台東区。また、昔は東京の渋谷・原宿に該当する浅草~北千住エリアなども、少しづつ現存をしつつアクセスしやすくすると良いと思う。日本橋や神田あたりも昔ながらの食べ物があるが、これも全て大衆的な「下町」な文化なのである。スカイツリーのある隅田区なんかはやはり、模範となるかもしれない。それに加えて各老舗点にみんなで足を運ぶようになればいいなと思ったりもする。
  • 日本の電機産業の博物館・資料館などの充実
    世界から見た日本の魅力と言えばやはり「テクノロジー」と「日本の歴史(侍)」だ。過去70年間、日本の侍の生き写し(それと坊さん、僧侶の生まれ変わり)は各電気会社などの製造業の分野で活躍したに違いない、と個人的には思っている。どのようにして、世界を台頭するような電気会社ができあがり、それらがどのように人々の暮らしを発展させてきたか、などは海外から見てもとても興味深い分野なのではないだろうかと思う。また、綺麗に見せるよりも特に60年代ー70年代にあっただろう、汗まみれになって夜な夜な働く男たちの姿は、表現はしにくいが、現代日本文化の根幹となるような気がする「飲みにケーションの作法」や「立ち飲み」「大衆居酒屋での息抜き法」などそういったソフトコンテンツがあったら、真面目でシャイな日本人の気質の本質を理解して貰えるような気もする。個人的には下戸になってしまったが、鍋や一品もの料理のアラカルトをそれぞれの箸で共有する文化なんかも、西洋社会での個人主義的な職場に疲れ切った20-30代世代の若者達には喜ばれるのかもしれない。そういうものを開催できたら尚、楽しい気がする。

以上、大分殴りがき状態だが、京都から今東京に来た際に感じたことを書いてみた。今日はOB会のようなものに初めて参加してみる。多分、日本は今後も魅力的に映る国であり続けると思うし、それをもっとうまく表現すれば、日本の文化を守りつつも、次の時代へと移行できると思っている。

周りに回って、タイトルの通りだが、やはり日本の自然+再生型エネルギー技術+きれいな空気と水 が日本のイメージどころか実態も良くするのではないだろうか。こう言ってしまうと、新聞や広告があたりまえに言っているように聞こえると思うが、一度是非皆さんにも山々をバックにした京都の夕焼けを見て欲しい。今年、来年以降はもしかしたら世界中から更に外国人観光客が雪崩こんできてしまうかもしれない。その前に機会があれば是非京都の日常を味わっていただきたいと思う所存で、本稿を書きました。
以上。

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