東洋経済オンライン記事:「『話すこと』を重視しすぎた英語教育の末路」

two girls writing on paper
Photo by Pragyan Bezbaruah on Pexels.com

東洋経済オンラインというWebメディアに「『話すこと』を重視しすぎた英語教育の末路」という記事が載っていました。(リンク:https://toyokeizai.net/articles/-/226547

内容的には非常に的を捉えていると思いますが個人的にはもっと前向きになってもいいんじゃないかと思います。批判ばかりしたら、読み手のやる気が下がるねん!ということです。

主張は次の通りです。(順不同)

  • 母語(日本語)がしっかりしていない状況で英語を覚えると正しい英語の発音を覚えられない。
  • コミュニケーション能力を重視した会話中心の指導では、英語は話せない(読み書きが大切)
  • 英語教育は思考発達を疎外しかねない。

個人的な意見を上乗せると次のように解釈できます。

  • 英語教育は思考発達を疎外しかねない。 → 正確には「バイリンガル脳は二重に負荷がかかる」よって、他の習うべき日常習慣や礼儀などへの注意が散漫になる。英語教育自身は決して「思考発達の疎外」ではない。多分、「脳への負荷=集中力の消耗」を生んでいるだけでしょう。
  • 母語(日本語)がしっかりしていない状況で英語を覚えると正しい英語の発音を覚えられない。 → これはその通りだと思います。「感覚」を掴めない英語の言葉(音的にも意味的にも)が増えます。よって、「なんとなく発音」したり、「なんとなくパターンとして発してみる」状況が続きます。腹落ちがしないのです。
  • コミュニケーション能力を重視した会話中心の指導では、英語は話せない(読み書きが大切) →「読み書き」というよりは「日本語(母語)と紐付けた語彙やフレーズの暗記」の重要性を指しているのだと思います。会話はコミュニケーションです。最後に一番重要なのは、「言葉を超えたコミュニケーション」です。コミュニケーションを否定するかのような文章は誤解を招きかねない印象があります。

英語と日本語が混在する頭は負荷が高い

つまり、英語と日本語という言語体系的に違ったことば同士を同時に考えるということは非常に負荷が高い状態を維持することです。脳でいえば、バーベルやパワーアンクルを常につけているような状況です。どっちかが上手ければ、片方が下手になるのはある程度はあたりまえのことだと思います。野球で言えばピッチャーと4番バッターを一緒にできる、と同じような者です。こういったことが子供のうちにできるのは一握りです。(実質は「一握り」もいないでしょう)

記事の中で次のように書いてあります。

英語が話せる「早道」だと思って通わせた英語保育によって、日本語が定着しないで思考ができず、さらには心も落ち着かない。学校に通い始めても日本語の語彙が足らず、理解できないので学力がつかず、かえって英語の習得が遅れる、といった現象が起きることになりかねません。

こういうと、なんか幼児の英語教育を

重要なのは「母語」を基準とした「外国語(英語)」の理解

この記事の筆者が本当に主張したいのは「母語(日本語)」の重要性だと思います。というか、それが本当の主張です。あたかも英語が悪者であるような記事のタイトルは編集上ではないでしょうか。(汗、笑)普段、「英語で話せること」は「普段日本語で話せること」の範囲を越えないほうがいいのです。 (*「英語で話せること」は「日本語(母語)で話せる、表現できる内容」に内包されるの原理)もちろん、英語でしか表現できないこともありますが、これが日本語で話せる語彙やフレーズの数を超え始めると「危険ゾーン」に入ります。つまり、「英語」と「日本語」の世界が乖離しすぎることです。

よく巷の英語教室でも「英語脳をつくる」とありますが、これには一長一短あります。つまり「英語脳」というのは「日本語の脳」と独立しがちであるのです。つまり、あまり自由勝手に「英語脳」が発達しすぎるともはや「日本語の脳」が「英語脳」を監視できなくなります。少なくとも日本の社会に於いては主流となる言語は日本語とそこから派生する風習やルールですから、「日本語脳」が機能しなくなると支障をきたします。個人的にも英語脳の方が強い時期が人生的にも長いですし、少し英語圏に行って戻ってくると数週間〜1ヶ月間ぐらい日本生活に支障をきたすことが多くあります。 (「言語が文化をつくる」や「言語と文化の関係」や「文化の拡張としての言語」などのキーワードでインターネットを検索するとそれらしき答えが出てくると思います。こちらの記事によると、英語圏には日本と比べて「確たる文化背景がない」という主張もしています。)

よって、少なくとも会話に於いて「英語脳」「日本語脳の監督範囲」にある程度留めとくといいと思います。もちろん、親が子どもの悪事を見過ごす程度で、「英語脳がやんちゃをする」のはいいのですが、それ以上は実は精神衛生上はあまり良くないです。今では存在するかわかりませんが、これが六本木で夜な夜なクラブやバーでべろんべろんに酔っ払ってしまう、数年留学して「英語脳」になってしまった若い女性などを生んでしまいます。別に英語=ビールと野球と「Woo!」だけじゃありません。(そういうこともあるけど)

自分自身含め、色々なバイリンガルと話した結果の考察です。

ご意見等あればよろしくお願い致します。

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s