Chat という言葉の便利さ

英語には「Chat」という便利な言葉がある。これは現代の日本語にはない。ある意味、そういう意味では日本語的なコミュニケーションと(米国や英国の)英語的なコミュニケーションの違いを作る、決定的な違いかもしれない。個人的には英語圏で幼少期を過ごしたので、少し残念なような気もする。

米国では「chat」の他にも「small talk」や「discussion」などがある、イギリスではもしかしたら「chat over tea」やアメリカでも「talk about it over dinner」などがある。(Let’s chat over a cup of tea/coffeeやTalk about it over dinner などがある)これは、日本語では訳しにくいが、「談話」「小話」「無駄話し」などがある。しかし、同時にそれぞれの言葉にはそれぞれの欠点がある。

「談話」というと何か「談」と言う事から言葉を絡み合わせなければならない、と思わせるような表現、というよりかは言葉だ。つまり「chat」とは印象が違う。

「小話」というのも日本語的には実は最後に何かオチ、もしくは耳寄りなお得な話を言わなくてはいけない、と思われがちである。やはり少し「chat」も違う。

「無駄話」というのが、一番近いかもしれないが、日本語的には「無駄」という言葉が入っていることから「意味がない」と思われがちである。

その他にも、日本語的には「情報交換」という言葉が使われるが、これはある意味「情報を交換している」という訳で、くだらない話をしている訳ではない。昔はどういう使われ方をしていたのかはわからないが、「有益な情報の交換」であり、残念ながらこれは「無駄話」ではない。

英語でのchatは「無駄話」「他愛もない話」

これは一つの仮設、に過ぎないが英語の会話の「Chat」は実は現代人が一番嫌う傾向にある「無駄話」及び「小話」なのかもしれない。特に意味はないが、意味がないからこそ、意味がある。そんな感覚だ。日本人的にも馴染みが多い仏教的な「遊び」、つまり空白の時間だったり、余白的な「間」なのである。しかし、それはキレイにお互いの声が鳴り響いている、つまり、ジャズやブルースのセッション、または最近のところで言うとヒップホップのフリースタイルのようなものをイメージすると良いのかもしれない。ある程度の「釈」は決まっているが、中の内容は自由なのだ。日本語と違って「会話に正解はない」と言うことが英語の会話かもしれない。最終的には好き嫌い、相性、そしてその時の気持ちがお互いに共鳴するか、程度なのである。もちろん、chatがきっかけて次のアポイント予定だったり「じゃあ一緒にご飯に行こう」、という話になるかもしれない。

今までの日本の会話では、上手く話が噛み合わないと、「日本語が変だ」または「なんか響かない」などと、言っていい事になっている。(私はよく英語を話している直後に日本語で話しかけられると頂く言葉だ…)この間も外国で育ったと言つた直後に「どおりで日本語が変だと思った」と言われてしまったり、まあ、有り難いコメントの連続である。日本というこの国境内ではいつの間にか、日本の中学までの教育で出てくるような「日本語」を使わないと「日本語を喋っていない」とシャットアウトしてもモラル上問題ない、と言う事になってしまう。しかし、やはり多国籍だったりそれ以外の多様性がある環境での会話はある程度相手に耳を傾ける必要がある。現代の英語は比較的このような要素が少なく、釈の中だったらある程度何を言っても問題がない。一番重要なのは心持ちなのかもしれない。

日本語でももっと「CHAT」のような雑談をしてもらいたいものである。

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